間違いだらけのテニス指導 <初級(初心者)・中級から上級テニスを目指すために> -2ページ目

ショット力=コントロールの3乗×スピード

ショット力を計るバロメーターはいくつかあるでしょうが、一つの指標としてタイトルのとおりとしました。要するにコントロールのほうがスピードよりも重要だ、ということです。もちろん、スピードは素晴らしい武器になりますが、そればかり追い求めては上手くならないということです。

さて、本件は先頃行われたマイアミオープンをTV観戦した感想から書いた次第です。
ご存知の通り錦織選手はイズナー選手に敗れ、ジョコビッチ選手はイズナー選手に勝ちました。この二つの試合を見て、ジョコビッチ選手が実践していて錦織選手が実践できていなかったことがありました。錦織選手に実践のための技術力がないとは思えません。実践するかどうかその選択の的確さがジョコビッチ選手にあったのだと思います。

イズナー選手は強力なサービスとストロークを持った選手です。錦織選手はその強力なショットに対抗して打ち合っていましたがジョコビッチ選手は無理をしていませんでした。ジョコビッチ選手はイズナー選手の強力なショットを緩くても深くミスしないで返すことを優先していると思いました。イズナー選手はいくら強打しても深くコントロールされて返ってくるボールに徐々にいらだっているように見えました。短くなっていくボールなら強打で決めるチャンスが広がっていきますが、深く深く来るボールは強打で決めれません。それで、いつのまにか無理して決めるには(エースをとるには)難しいボールまで強打し、自らネットやアウトでミスをしだしたのです。

錦織選手はイズナー選手に対抗しました。しかし、そのコントロールが甘く、イズナー選手の懐にカウンターをわざわざ食らいに行っているようなボールを供給することになっていました。イズナー選手に甘いボールをエースされると、錦織選手はさらに相手を追い込もうと強打しましたが、それは無理なものであり自分でミスをしだしました。

ジョコビッチ選手はイズナー選手と何度か対戦しているようです。ですから錦織選手よりも戦い方をよりよく知っていたのかもしれません。そういう条件を抜きにしてゲームを評価した場合、ジョコビッチ選手のコントロール力は錦織選手のそれと比較し一日の長があると見たのです。より正確に言うならば、コントロール力のあるショットの選択力がジョコビッチ選手のほうがあるということかもしれません。

錦織選手が世界のベスト3に入れるかどうかはまさに総合力であり、その鍵はコントロールショットの選択力だと思うのです。そして、これは世界のトップのことなのですが、私たちにも大いに当てはまることだと思うわけです。

錦織選手は自他とも認めるストローク力のある選手だと思います。しかし、それでもある時はそのストローク力を上回るパフォーマンスが他の選手によって錦織選手に対して発揮されるわけです。世の中上には上がいますし、その上はその日の条件で登場するものです。そんなハイパフォーマンスにも総合力で対応できるようになった時、錦織選手のベスト3が現実になってくると思うのです。

日本テニスの問題

スクールでサービスの練習の時、そこに日本テニスの問題を垣間みるのです。

テニスの技術の基礎理論が日本のテニス指導者に無いことです。

ある中級から上級にかけてのクラス。
「それぞれ2、3球ずつ打ってください」と5分から10分かけて自由に打たせます。
サービスエリアに的を置いておきます。

問題を感じるのはその時の指導方法ではありません。初級者から中級、上級に至るまでに受けた指導過程全体についてなのです。

それは何か。自由に打たせると、傾向がはっきりします。どんどん積極的に打つ人とあまり打たない人。後者が中年の女性に多いのです。もし、中年の女性をそのまま放置しておくと、サービス練習はやめておしゃべりだけになるのです。

さて、中年の女性が悪いとは全く思いません。中年の女性こそが物事の合理性を経験からくる感性で嗅ぎ取ると思うからです。端的にはサービスの練習が面白くないのです。また、サービスについて間違った指導を受けており、その結果、自分なりに修練する道も見えてこないのです。または、間違った指導であるということを直感的に感じており、練習を無意識に拒否しているのかもしれません。

それでもコーチが無理に促せば、中年の女性は仕方なくサービスの練習を始めます。しかし、その様子を見ていると息苦しそうです。気持ちよさそうに打てていませんし、気持ちよくなりそうな兆しもありません。サービスの基礎ができていないので、技術が積み重ならないのです。

「サービスは薄いグリップと腕の内転と」などとサービス専門の技術解説書に腕のことを強調することばかり書かれています。これは恐らく著作者が自身の経験から学んだノウハウをそのまま基本書にしてしまったためかと想像します。

かくいう私にも今のところサービス技術に関する確信はありません。ありませんが、あることについて最近強く思い始めています。以前投稿していますが。それはサービスは体全体を回転させるものであり、反るものではない、ということです。反るイメージはサービスをつまらないものにしますが、回転するイメージはサービスを面白くします。ここでいう体とは足の先からラケットの先すべてのことです。

中年女性が「サービスが楽しい!」と思える。そんなテニススクールは優秀なスクールなんだと思います。

人間は楽をするものですね

 家から駅までの経路。途中、明らかに私有地であり通ってはいけない所があるが、そこを通ると大幅に時間節約できる。多くの人はそこを通る。やがて「通行禁止」の看板が立つがそれでもまだ通る。完全に通行できなくしないと通る人は無くならない。スクールの練習からこんなことを連想したわけです。

 スクールの練習は上手くなるためにやるのだと思います。これは一般論であり、他の理由もあると思いますが、とりあえず「上手くなるため」としておきます。最初は何もできないのでコーチの言う事をしっかり聞きながら各種習得していくことでしょう。この最初の段階で何かが習得できるとその後の継続になりますが、そうでないと「テニスは合わない」となるのでしょう。特にストロークがなんとか続けられるようになることは継続のための必須だと思います。サービスやボレーがいくらできても、ストロークができないと他者とラリーができず面白くないからです。

 ストロークができるようになってから、そこから人によって得意が分岐、異なってくるというのが一般的だと思います。「フォアが得意」「バックが得意」「スマッシュが得意」などから始まって、「バックのクロスが得意」とか「ボレーのロブが得意」など得意の分野が詳細になっていったりすることでしょう。

 さて、人間は前述の近道の話ではないのですが「楽」をするようにできていると思います。まあそれは単なる怠慢ということだけではなく、安全の確保、安定の確保でもあったりするでしょう。ですから「楽」がいけないことだとは思いません。が、テニスの向上のためにはこのへん自分自身に厳しくなっていかなければならないのでは、ということなのです。

 例えばボレーボレーの練習。コーチがよく生徒同士でやらせておくやつです。ボレーの基礎の習得方法にも問題があったのかもしれません。ともかくネットにつめるのです。正確にはつめてしまうのです。恐らくボレーは来たボールに面を当てる、というインプットばかりが多く、運ぶとか上げるというインプットが不足しているのだと思います。ネットにつめれば相手のボールが上にこようが下に来ようがとりあえずボールにあてることができ、それを相手コートにかえすことができます。だからネットにつめます。しかし、こうした時、頭を超えるボールには全く対応できません。そして、いつまでたってもローボレーは習得できません。実践では(実際の試合では)ロブあり、ローボレーありですが、どちらにも対応できません。結果として「ボレー苦手」「ストローク好き」みたいになっていくのでしょう。

 やれることをきっちりやるのはいいのです。が、やれないことはやれるようにしないといつまでたっても進歩しないのは明白です。やれるようにするためには、やらないとなりません。やるには失敗はつきものです。失敗しながら、やりながら、やれるようになるのです。これは、楽でもないし、安定でもありません。

 ストロークのコントロール力に比較するとボレーが杜撰(ずさん)な人は少なくありません。スクール等でいかにボレーが適当に教えられているかを現しているとも思います。一般人にはすることの多いダブルスにおいて、チャンスをつくったり、チャンスを決めたりすることがほとんどできていないといっていいのではないでしょうか。

 得意なことをするのは大いにけっこう。しかし、テニスが守備から攻撃まで5段階あるとすれば、その得意なことはそのどこかの段階にあてはまるのであって、他の段階でも使えるオールマイティなものではないでしょう。他の段階で必要最小限の技術は身につけるべきなのです。ネットから1メートルしか離れていないロブをスマッシュが苦手だからとボレーで返すのはいくらボレーが得意だからといっても問題なのです。「そんなことわかっているよ」と人は切り返して言い返してくるでしょう。しかし、よーく考えてみると見えてきます。如何に自分が楽をして取り組まなければならない課題や問題から目を背けているかがです。

 進歩するためには遠回りをすること。楽をしないよう自覚すること。テニスに限ったことではないでしょう。



無理ない動き

ボレー、ボールを飛ばしたい方向に腕を振っていくのはいいのですが、問題は振り方です。
意外に腕で振っていこうとしていないでしょうか。


体の構造のことを考慮すると楽に振れます。
右ききならば右肩から先の腕全体をぶらぶらしてみてください。振り子のようにぶらぶらすると思います。これは無理のない動作だと思います。肩に腕がくっついている。その腕をぶらぶらさせる、ということですから。


さて、フォアボレーであれば、この振り子を利用して右から左、バックボレーであれば左から右です。この振り子はただでは振れません。右利きの場合ですが、フォアなら右足、バックなら左足を軸足としれ地面を踏みしめ、その反作用で腰や肩をちょっと前方に進ませます。そうやって腕を振ります。


振り子のようにしている腕は手首が腰の位置あたりにあると思います。ですから、ネットよりやや低く来るボールは楽に打てるでしょう。ボールが高めにきた場合は、この振り子のイメージのままで打ってみましょう。振り子の描く扇形は地面に垂直ですが、この角度を変えるイメージです。


まあ、何はともあれ、お手てぶらぶらを生かすということです。

気をつけよう

スクールでコーチや周囲から「ナイスショット」と言われることがあると思います。

こういう時は要注意です。

この言葉をまともに受けて喜ぶと、それは間違った自信へ進むことが多々あるからです。




テニスにおける良いショットとはどういうものをいうのでしょうか。
私は
「相手からのショットが予測できるように配給されたショット」
と定義します。
これこそが「ナイスショット」ということです。

ダブルスであれば、ペアがボレーに出れるような球が相手から返ってくるような球を配給したショットです。
サービスであれば相手からのリターンのコースが限定されるようなサービスです。



安易な「ナイスショット」は鋭いボールでエースをとった時に特に出るでしょう。しかし、冷静になればわかります。そんなショットは相手のレベルがあがれば通用しないのです。


ですから勘違いして「俺のフォアは鋭い」とならないように注意したほうがいいということです。


こういう話をしていると
「そうはいっても、実際に芯で捉え、伸びのあるボールだったんですよ。ナイスショットでしょっ?」となるでしょう。
であれば、どうしてそのようなショットが打てたのかトコトン追求することです。それで何度も同じようなショットを再現できるようになった時、そんな時のあなたにとって、そのショットは普通のショットになっていて、ナイスでもなんでもなくなるでしょう。それどころか「あー、もっともっとよいショットの選択があったよな」と赤面するでしょう。



スクールは商売ですから、生徒が楽しくなればいいのです。
「ナイスショット」と言われれば悪い気はしません。


本当のナイスショットは私の考え方からすると実に地味なものなのです。
この地味な部分に注目できるようになれば一段と上手くなると思います。

そういう意味では、皮肉でなく、コーチが生徒に対して正確に適度にボールをコントロールして打っているところなど、注目すべきところだと思います。私たち素人にとってナイスショットの連続なのです。

X理論

この10年このブログを書き続けた成果が「X理論」です。
これはテニスを学習するための基礎理論として確固たるものとなるでしょう。
と、自画自賛(笑)


絵を見て下さい。
X理論


「X」とは右肩と左足先を結ぶ線と左肩と右足先を結ぶ線が交差している有様を呼びます。


テニスではよく「軸」という話が出てきますし、私も使っていました。
しかし!!! その軸が具体的にどういうものなのか描けと言われれば描けなかったのです。「軸」である以上、その端は2点あるはずです。が、その2点がなんとなくぼやけていたのです。

「体をまっすぐに起こして、軸をまっすぐにし、それを中心にスイング」なーんて話もありますが、実際そんなにうまくいくでしょうか? 尻尾でも持っていて、それが地面に接触しているならば、そんなスイングも可能かと思いますが、尻尾はありません。基本的に人間は右足と左足で立っています。

 そこで右利きの人がフォアハンドで右足先を軸の端とするならば、その反対側はどこにあたるのか、ということなのです。それは右肩ではなく、左肩なのです。この右足先と左肩を結ぶ線が絵では「赤色」の部分となります。そして、この赤色の軸の回りを「緑」が回る、つまり右肩やラケットを動かすのです。

 この赤軸、びしっと固定するといいのです。しかし、動かしてもいいのです。要は緑の回転を導くために上手く動けばいいのです。絵では右足がしっかり地面に付いていますが、ボールとのコンタクトによっては左足が地面にしっかり付く事になります。それでもスイングの軸は「赤色」なのです。このへんの細かいことは別途にします。ともかく、どのような状態でも「赤色」を上手く保つと気持ちよいスイングができるのです。

 本件は全てのショットにいえます。シングルバックハンドでも同様です。
 サービスなどはどうでしょう。左肩と右足先を結ぶ線が1本の軸になり、その軸が力強く回転することで右肩と左足先を結ぶ線がスイングとなるのです。「左足に加重しなさい」というサービスのアドバイスがありますが、あれは誤解のものだと思っています。左足は左肩と右足先を結ぶ1本の軸を上手く支える役目、この軸をサービスの方向に誘導する役目、サービスのパワーを出す役目等々いろいろあるのです。そして右足が軸の端になるのですが、軸自身の回転のパワーを生む原動力にもなるのです。「左足加重」を意識しすぎると極めてバランスの悪いサービスになると考えます。右足と左足の協調がとても重要なのです。

 そして「体の開きすぎ」とか「左肩を押さえて」とか言われますが、これはまさにX理論から納得できるのです。サービスでもストロークでもボレーでもラケットを持たない手の動きが上級になればなるほど一般的にはなされています。それは軸を保つために自然に出てくる行為なのです。

 「X理論」の考え方からすると、今迄納得いかなかったテニスの動作の説明がつきます。ということで「そんなの間違いだよ」というコメントを募集しています。このブログのタイトルが試される時期に来たと自分で勝手に思っています。


追伸

私の周囲には70歳近くになっても進化しているプレヤーがいます。
テニスは死す時まで上達できると私は思っています。ちょっと大袈裟ですが(笑)。


「X理論」をここに提唱します。2015年3月11日。中山慶一。

面とボール

本当は面なんて呼ばないでガットとかストリングスとかいうのでしょうが(笑)

さて面とボールの関係を知ることはとても大切なことだと思うのです。ところが意外にこのへんの話は少ないと思います。また、間違った認識に繋がることも少なくないと思います。そこで今回テーマとしました。ただし、ここで正解を出そうとは思っていません。テニスには様々なスタイルや考え方があり、人によって正解も違うと思うからです。まあ、私自身に「正解」がないのが本音ですが。そのへんさし引いて考えてみて下さい。


まず、絵でいけば一番下の部分「ボールと面」です。よく「ラケットを転がるようにスピンをかける」という解説がありますが、実際のところ転がりなんかしないのです。転がる技もあるかもしれませんが、かなり高度な技でコントロールするのは至難だと思います。一般的にはBのパターンであります。つまりボールがどのくらい面に食い込むか。この食い込み具合によって、ボールにどのくらい回転がかけれるのか、または回転をかけつつ打球方向にしっかり打っていけるのか、が決まってくると思います。

ではどうやって食い込ませるか。
いろいろ考え方はあるとは思いますが、押さえておくこととして「重力」があると考えています。ボールは相手のラケットを離れた瞬間から重力で下向きに引っ張られています。ですからこの重力に逆らわないで面をボールにあてがって(接する)やれば、楽にボールは飛んでくれるというわけなのです。

スピンのAですが。面がボールに当った後、ボールにかぶせるパターンです。ボールは面よりも地面に近く、ボールの重みは面に伝わりにくいと思います。あまり、食い込みができないのです。スピンのBですが。この場合は寝かした面を起こしていき面に垂直くらいにぶつけ、そのまま面は上に向いていきます(絵はでは垂直を維持したままに見えますが、維持する必要はありません)。この場合ですと、面はボールよりも地面に近い方をキープ、よってボールの重みもしっかり面が受け、食い込みも大きくなる、という感じです。


スライスにもAとBがあります。もちろん他にも沢山あるのでしょう。Aは寝かせてきた面を立ち上げるパターンであり、Bは立ち上がっている面を寝かせるパターンです。どちらも面のほうが地面に近いのでどちらも理にかなっていると思います。ただ、Aのほうは起き上がらせてきた面が地面のほうにまで向いてしまう可能性があり、その向いた時にミートするとボールは下に飛んでいってしまいます。ですので、そのような可能性のないBのほうが楽に習得できるパターンかと思ったりします。

ボレーの練習で常に直線的に相手に打っている練習しかしていないケースをよく見ます。もっと面にボールを乗せて重力を利用して楽にボールを運ぶ練習をするべきだと思います。ボレーでロブをあげる練習なども多く取り込むべきなのです。ボレーを苦手にしている人は必ずといっていいほど直線的な練習しかしていません。そして、試合の本番では直線的なボレーも打てず、当ててかえすだけになりがちです。


なんだか上手くまとまりませんが、ご勘弁を。
ともかく重力やボールの食い込みを理解することで、ストレス無くラケットを振り抜け、コントロールとスピード(過剰なスピードではなく)のショットに近づくと思います。スピンのパターンAが基本になっていると、どう頑張っても振り抜けないし、振り抜けば振り抜くほどミスが増えるでしょう。そしてコーチから「前でミートして」と言われてもうまくできません。前でミートすればするほど面がボールにかぶさっちゃうからです。Bのパターンは違います。より前方向に面を移動させるということが可能です。面もボールにかぶさる事はありません。

ということでいろいろ「面とボールの関係」について考え、トライしてみましょう。



<余談>

スピンのBは「弾く」という感覚にも繋がると思います。ボールが面に食い込んでくれるので、弾くというのは、人差し指と親指でやるデコピンのように狙いを定めたあの感じです。ところがスピンのAですと食い込んでくれないので(食い込みにくいと言っておきます)、弾くなんていう感覚は起こしようがないということです。



頭の位置

インターネットでストロークの強打に自信のある人が自らか、または誰かに頼まれてかビデオで登場しているのに時々おめにかかります。

確かに強打なのですが、プロ選手と比較して圧倒的に見た目で違うところがあります。それは「頭の位置」なんです。ボールをミートしてから振り切るまでの間、プロの頭は上下にも左右にもほとんどぶれないのです。しかし、強打自慢の方々は頭がぶれぶれです。試合になるとコントロールの点から見て確率の悪い強打しか打てないと推測できます。

人の手本になる強打とは頭がぶれずに軸もぶれないものでなくてはなりません。といいますか、そういう動画などを参考にしたほうがいいでしょう。賢いコーチはぶれない範囲で手本を示していると思いました。

如何に土台で発生した力をボールに伝えるか

前日の土台の件と関連することです。

「如何に土台で発生した力(土台で作った力)をボールに伝えるか」

後にも先にもこれしかないのです。そう強く思います。


土台で発生した力(作った力)を効率よく、ストレスなく、ボールに伝えた時、その時におのおののパーツもそれなりに動作している、ということです。


このそれなりに動作しているパーツを取り出してピンポイントで訓練するとほぼ問題が生じます。肝心の土台や、そこからの伝達を蔑ろにするばかりか、下手をすると破壊してしまうからです。


さて20年くらい前のテニス解説書で比較的有名な講師がサービスの解説を行っていました。「腕だけで打った時」「腰から上を使った時」「下半身を使った時」というように分けて、そのスピードを比較してました。もちろん結果は順番に上がっていきます。ただし、この解説のおちに問題があるのです。「腕だけでサービスを打つと140キロで、下半身を加えると170キロ。だから腕の力の要素がサービス速度に大きい」ということなのです。こういう指導が日本のテニスでまかりとおってきたと想像します。本来は下半身で力を発生させ、上半身でそれをラケット、ボールまで伝える、ということだと思います。まあ、「でなければならない」ということは言えません。その人のテニスへの接し方で方法は変わってもいいのですから。ただし、より速いとかより強力を求めるならば、この講師は落第だと思うわけです。


「如何に土台で発生した力(土台で作った力)をボールに伝えるか」
この方法論は沢山あると思いますし、人によって(体格や能力によって)その使い道が違ってくると思います。テニスの練習のひとつの大きな意味はここにあると思います。









土台感覚を磨く

昨今はネット上に様々な技術に関する情報が出てきました。とても良いことですね。しかし、反面気をつけなければならないと思っています。

何かをしようとすると、土台(足、腰)がおろそかになる、ということです。

例えばサービス。
「肘からボールに向かって」というアドバイスがあったとします。するとどうしたってそちらに意識が行きます。そして肘からボールに向かわせるために土台を調整しちゃうわけです。しかも、その調整は良い調整ではなく、問題のある調整なわけです。

本来、土台をより良く調整することで、結果として「肘からボールに向かう」となるんですが、このことを伝えるのは容易なことではないと思います。各自の持つ土台と土台の感覚を磨いていく先に美味しい果実があるのだと思っています。

ボレーなんかはわかりやすいと思います。来たボールを打とうとどうしても上半身でボールにコンタクトしようと思います。すると足が動いていなくて、結局ボールにしっかり届いていないのです。これはよくあることです。土台の感覚が磨かれていくと、無意識に足でボールにコンタクトしていくようになります。同時に上半身(腕)もリラックスし、結果的にラケットのグリップエンドからボールに向かうことでしょう。

ということで何よりも土台の感覚を磨く事がテニスにとって大切だと改めて思うわけです。そういう意味では、どのような技術に関しても常に土台のことをセットでしつこく説明している媒体(本、動画、人、スクールなど)を私としてはお勧めする次第です。